何度も挫折した吉田洋一著「零の発見」をようやく通読しました

過去に読むことを挫折した理由

「零の発見」には何度か挑戦し、そのたびに挫折してきました。

この本と初めに出会ったのは、中学生のときです。友人が読んでいるのを見かけて、面白そうなタイトルだったので買って見ました。でも、読み始めてみると何が書いてあるかほとんど分からず、挫折してしまいました。

高校のときに、自室の本棚で見かけて、手にとってはみるものの、やはり何度か挫折した覚えがあります。

今回、改めて読んでみて、挫折した理由が分かりました。出だしに大きなハードルがありました。

いきなり話が変わりますが、あなたは、新約聖書を読んだことがありますか?

僕が学生の頃は、ある団体が生徒一人ひとりに、寄付をしてくれていました。

折角なので、紐解いてみましたが、出だしに知らない人の名前が羅列されていて、すぐに眠くなり、とても読み続けられませんでした。クリスチャンファミリの方々にとってみれば、なじみのある方々の名前かもしれませんが、僕には、全く興味が湧きませんでした。このハードルを越えると様々な物語が出てきて興味深く読むことができますが、当時、僕の周りで読み進められた人はいませんでした。

「零の発見」の出だしも同様です。数学の読み物なのに、ナポレオンから始まります。ヴァスコ・ダ・ガマ?ルター?サラセン王国?世界史が大の苦手であった僕には、ここで本を閉じる権利がありました。

今回、ここを通り抜けるのが最もきつかったです。というより、興味がないので、まともに読んでいません。少なくとも冒頭に適当な地図を出しておいてくれれば、地名と対比させてなんとか読み進められますが、地図が出てくるのは後半の108ページ目でした。

本書が対象としている読者

本社が対象としている読者層も微妙です。

はしがきでは、「読者としては数学を知らない全くの素人だけを始終念頭において書いた」と書いてあります。

でも、等比数列の和くらいは分かっていて当然のよう(P.65)です。また、交換法則が成り立たない例として、ヴェクトルの乗積(外積)(P.118)が取り上げられています。外積なんて大学の専門の授業になるまでお目にかかったことなどありませんでした。

「数学家にとっては、高校数学をおえた頃が素人に相当するのか?」と尋ねたい気分です。交換法則が成り立たない例を示すのには、2×2の行列積の例で十分だと思います。

こんな難しいことが出てくるので、中学生の僕には全く歯が立たなかったのでした。

今回、読む気になった理由

そんな経緯がありながら、今回、読む気になったのは、ポアンカレの「科学と方法」を読んでいる間に、いつも見ることのない本棚の奥をたまたま見て、そこに「零の発見」を発見したからでした。

「昔、何度も挫折したな、一体どんな人が書いているのかな」と、著者の略歴を見たら、そこに、『訳書-ポアンカレ「科学と方法」』とありました。

たしかに、「科学と方法」を見返してみると、「吉田洋一訳」と書いてありました。

こんな偶然があるなら、読むしかありません。

内容

零の発見

「零」とは、普通に考えれば、正の数と負の数との間にある値の零です。

でも、本書で扱う「零」とは、表記において空位を表す0のことです。例えば、「10」という数における1の位の「0」のことです。これがインド記数法として出現するのに数千年を要したということを説明するのが本書の核です。

ところで、昔は、「発見」という言葉と「発明」という言葉が混同されて使われていたみたいです。

本の題名としては「位取り用の零の発明」とした方が正確だとは思いますが、「零の発見」の方が響きは良いですね。

対数

あなたは、自然対数の底である「e」を何と呼びますか?

僕は学生時代に習った覚えがなく、「e」としか呼んでいませんでした。

でも、最近、「ネイピア数」と呼ばれていることを知りました。

スコットランドにネイピアという人と、スイスにギュルギという人がいて、ほぼ同時期にそれぞれが対数を発明し、対数表を作ったそうです(P.79)。「e」にはそのネイピアさんの名前が当てられています。

著者はこのような例から、「発明は、異なる場所でほぼ同時期に生じることがある(P.85)」ことを指摘しています。確かに、考えてみると、電話の発明然り、テレビの発明然りです。

更に著者は、「必要に応じて発見がなされるので、零がなかなか発見されなかったのは、その必要がなかったから」との仮説を立てています(P.85)。おそらくそうなのかもしれません。

でも、それはそれとして、電卓がない時代、対数表とか三角関数表をどのようにして作ったのでしょう?「正数が与えられたときその対数をいかにして算出するかについては、説明を省略する」と流していますが、実はそこが知りたかったです。

エジプト式分数

P.91以降は、「直線を切る」というタイトルに変わります。ただ、本記事では一緒に取り扱うことにします。

まず、エジプト式の分数の話が出てきます。

これは、「分母が奇数で分子が2に等しい分数を分子が1であるような数個の分数の和として表す問題(P.91)」のことです。

本書は、パピルスに残されている例として、

    $$ \frac{2}{29}=\frac{1}{24}+\frac{1}{58}+\frac{1}{174}+\frac{1}{232} $$

があり、これに対し、

    $$ \frac{2}{29}=\frac{1}{15}+\frac{1}{435} $$

という別解があることを示しています。

もう一つくらいあるかもしれないので、僕も、別解を探してみました。
そして、見つけました。

    $$ \frac{2}{29}=\frac{1}{16}+\frac{1}{232}+\frac{1}{464} $$

です。

Excelの助けを借りましたが、結構すんなりと出てきました。そのうち、その過程を記事にしようと思います。※記事にしました(2020/06/17追記)

ゼノンの逆理

ゼノンの運動の逆理(パラドクス)は有名です。本書では「飛んでいる矢は静止している」などの4つが紹介されていました(P.134)。著者によれば、4つはそれぞれ違うように解釈できるようですが、僕には本質は全て同じに見えます。

ちなみに、著者によれば、ゼノンのまきおこした問題は今にいたるも謎だそうです(P.181)。

そうであるならば、スピード違反をしてしまったときに、ゼノンの逆理を言い訳に使えないのでしょうか?「僕が運転する車はゼノンのパラドクスによって静止している。すなわち、スピード違反などできようはずがありません」と。

連続について

「直線を切る」を読んで、一番有益だったことは、「直線を二つの部分に切断するとき、その境の点は一つあって、しかも、ただ一つしかないことを指すというのである(P.165)」という文です。題名からして、著者もこの一文を言いたかったのだと思います。

ただ、出だしに、この一文があっても、その中に込められた意味を理解することはできなかったでしょう。
有理数や無理数の長々とした前置きがあって、初めて理解することができました。

「直線を切る」とありますが、「実数を切る」とか「連続を切る」の方が言葉として適当だと思います。幾何学で、端が閉じた直線と端が開いた直線に切り分けることって、まずないですよね?

連続性の本質が解ったので、これもまた数ページで挫折している高木貞治の数学概論にも、再挑戦できる気がしてきました。同書は、出だしで実数の切り方を細かく説明していた覚えがあります。その重要性が理解できなかったので、とにかく、ひたすらつまらなかったです。

ところで、連続性という観点で考えた場合、0.9999……と1は同じ点なのですか?表現が違うので、別の点だと思いたいです。これらの間に無理数が何個もありそうな気がします。でも、10倍した値との差をとって9で割ると、どちらも1になってしまいます。同じ点のようです。

科学と方法との類似性

著者は、ポアンカレの「科学と方法」を訳した人であり、同書から影響を受けているように思えます。

どちらの書も、広範囲な知識のなかから論理を組み立てていきます。ただ、本書には参考文献が全く書いてないので、著者の意見なのか他人の意見の受け売りなのか、明確ではありませんでした。

ポアンカレは、「機械に旧来の力学原理を応用することをやめなければならない時はなお遠い将来のことであろう」と予想し、85年後にGPSが現れたことで、予測の一部が外れたと言えば外れました。GPSは相対性理論により補正をしないと使い物になりません。

書の著者は、「ソロバンが日本の社会から姿を消すときが来るか否か。また、もし、そういう日が来るとしたら、それまでにどのくらいの歳月が流れているか(P.41)」という問題を提起しています。何かしら似たところを感じます。

ちなみに、僕が簿記を受験したとき、試験場にソロバンを持ってきていた人はいませんでした。やはり、80年くらい先を見通すことは困難なようです。


吉田洋一:「零の発見」、岩波新書、1939

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