東京近郊で暮らしていると、徳川家康ゆかりの場所はそこかしこにあって、比較的身近に感じます。でも、太田道灌は、江戸城を築いたとはいえ、僕にとってはちょっと遠い存在でした。「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき」で有名な山吹伝説も、長野あたりの話かと思っていました。
でも、趣味の鷹狩にしょっちゅう行くには、近場の方が都合がいいわけで、山手線内くらいの距離に伝説の地があることはもっともな話です。
昨年の9月から、折に触れて神田川のほとりを散歩して来て、昨年末に一通り歩き終わりました。でも、高田馬場分水路近辺は、神田川から随分離れたところを歩いてしまったことと、高田馬場分水路と神田川の合流地点を見たかったことから、もう一度歩くことにしました。
高田馬場分水路と神田川の合流
高田馬場から散歩開始。さかえ通りを通り、田島橋に向かいます。

田島橋から今日の神田川を撮影。水量は普通です。
左の建物には、見慣れたひよこマークがあります。エステーの本社です。化学会社ですが、プラントらしき構造物はありません。本社機能だけがあるようです。

エステーの脇を抜けて北に行くと、新目白通りがあります。この通りの下を高田馬場分水路が流れています。
山手線の内側に入り、神田川沿いを歩きます。

戸田平橋のところで左に曲がり、3、4軒行った左側が旧千登世旅館。おそらく、アジアンレストランの一つ向こうの民家が旅館の跡だと思います。名曲「神田川」の作詞家は、旧千登世旅館の隣に住んでいたらしいです。丁度、このアジアンレストランの場所ということでしょうか。

分水路が近づいて来たところで、新目白通りを渡ります。通り沿いのビルにはまたもや見慣れたマークが!
鷲のマークの大正製薬の本社でした。

高戸橋から念願(?)の神田川と高田馬場分水路の合流地点を見ることができました。
左から来るのが神田川。中央と右が高田馬場分水路です。
神田川は、合流地点の寸前で傾斜が急になっています。分水路からの水が逆流しない工夫でしょうか。
高田馬場分水路は、起点付近で妙正寺川と合流してから分離します。このあたりの写真はこちらの記事からどうぞ。
高田馬場分水路の中で、水流を分離している理由は、構造の強度を確保するために中央壁を必要とするからだと思います。
日無坂と富士見坂を歩いてみた
神田川の散歩が一段落したので、付近を散策することにしました。
まず、菊池寛の旧居跡を訪ねます。
菊池寛。有名ですよね。でも、僕は作品を一つも読んだことがありません。将来、読むことがあるのかなぁ。

道すがら、階段坂である日無坂を上っていきます。
登り切ったところの道の名は、不忍通り!そして、区の名前は、文京区!
ちょっと不意を突かれました。不忍通りや文京区って、山手線内の右半分に位置するというイメージだったので。

ここが菊池寛の旧居跡。タクシーで訪れる方もいらっしゃいました。でも、マンションが建ってしまって面影は感じられません。
面影といえば、面影橋に近いところにある山吹の里の碑を見に行こうと思っていたことを思い出し、引き返すことにしました。

おかげで、写真右の富士見坂を通ることもできました。
写真を撮っている人が何名かいて、彼らの写真の画角の中に入ってしまうのは申し訳なかったです。

こちらが山吹の里の碑です。
いままで、近くを3回くらい通ったことがありますが、全く気づきませんでした。
レリーフは、仏像のように見えます。太田道灌や、山吹を差し出した紅皿とはどのような関連を考えて彫ったのでしょうか?それとも、歌の意味を考えている太田道灌でしょうか?
千登世橋を見て疑問が解決
次に、雑司が谷に手塚治虫の旧下宿先があるようなので、向かうことにしました。

明治通りを北上すると、千登世橋がありました。
千登世橋の上を通る道は地上と地上をつないでいて、下を通る道も地上なのに、立体交差ができることを不思議に思いました。でも、周りの景色を見てみると、単に明治通りが切り通しを通っているというだけですね。
昔、青山を歩いているときにも同様の不思議な思いをしていました。あちらは川によって作られた切り通しのようで、すぐには見抜けませんでしたが、これで長年の疑問が自己解決できました。これだけでも今日の散歩の価値があったというものです。

手塚治虫の旧下宿先は、電柱の左側の物干場がある建物のようです。建物の玄関側は、家並みがかなり入り組んでいてよく分かりませんでした。

帰りは雑司が谷駅から帰りました。副都心線に乗ったのは初めてでした。
あ、そういえば、面影橋近くの堀部安兵衛の碑も見に行こうと思っていたんだった。つい忘れてしまったので、次の機会にしたいと思います。
散歩データ
コース:JR山手線 高田馬場駅 → 神田川 → 東京メトロ副都心線 雑司が谷駅
距離:6.9km
時間:1h49m



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