名物を食べることは、街道歩きの楽しみの一つです。
今日は「安倍川餅」と「とろろ汁」にありつきました。
江尻宿
6時前に出発。首の後ろが日に焼けてヒリヒリします。でも、今日は日差しがマイルドな曇り空で、助かりました。
両足の人差指の付け根にできたマメに対しては、絆創膏を2枚重ね張りして対応。これが効果的で、痛みを感じなくなりました。
河童が渡り初めをしたという稚児橋を渡ります。
稚児橋の付近の小学校の場所が、昔の江尻城であり、武田信玄が築城したとのこと。さらに、その付近にサッカー神社と呼ばれる小芝八幡宮と魚町稲荷神社があるらしいです。どんな神様がサッカーの神様として祀られているのでしょうか?
草薙一里塚(43里)を発見。日本武尊が炎に囲まれたとき、三種の神器の1つである草薙の剣で草を薙いだ場所です。関東人にとって、神話は別世界の話ですが、こうして、実在の地名と結びつくと身近に感じられます。
府中宿
東海道は、東静岡駅の東側で東海道本線によって分断されます。この場所に旧東海道記念碑が立っていました。
碑のそばに迂回路としての北村地下道があり、そこを通ります。狭いところなのに、自動車も通るので危険です。
10時前に安倍川に到着しました。幸いなことに安倍川餅の老舗である石部屋(せきべや)が開いています。
甘い餅である安倍川餅(600円)を注文。きな粉には甘味がなく、自分で砂糖を混ぜて味を調節するスタイルでした。ちなみに、辛い餅はからみ餅らしいです。
石部屋の創業は文化元年(1804年)だそうです。
安倍川を渡ります。江戸時代は、徒歩渡しでした。
丸子宿
11時前に丸子(まりこ)宿に着きました。手造り風の看板立っていて、地元の方々の気合が伝わってきます。
でも、丸子一里塚跡(46里)はひっそりと立っていました。工事の看板の固定用に使われていたので、もう少し大切に扱ってあげて欲しいです。
旅行前から楽しみにしていた丁子屋というとろろ汁屋を発見!広重の絵のように、宿の一番端にありました。ここで昼食をとることに決定。
外からは小さいように見えた丁子屋の奥は広く、200名くらいは入れそうです。
「丸子」という定食を注文。味は、とりたてて特別の味がするわけではありません。でも、丸子で食べることに意義があります。また、室内をはじめ、お櫃や杓子がいい雰囲気を出していて旅情を感じます。
道の駅 宇津ノ谷峠を右に折れると宇津ノ谷の集落に入ります。江戸時代に紛れ込んだように、古い家々が立ち並んでいて、そのまま時代劇セットとして通用しそうな街並みです。車で近くまで来れるのであれば、道の駅に車を止めて、お手軽に街道歩き気分が味わえます。
宇津ノ谷峠です。立て看板などの表示はありませんでした。付近には誰もいません。
岡部宿
2時過ぎに、大旅籠柏屋の前を通過。柏屋は、岡部宿の様子を伝える歴史博物館です。リアルな人形がいて、非常に興味が湧きました。しかし、先を急ぐことにします。いつか見学したいなぁ。
小野小町の姿見の橋を発見。小野小町は東北の人だと思っていたので、静岡県にゆかりの地があるとは意外でした。晩年の小野小町は、この水面に映った老いの身を嘆き悲しんだそうです。僕も自分の姿を水に映してみたが、そもそも良く映らなかったので、老いを嘆かずにすみました。
鬼島一里塚(49里)を通過。標柱は、ここに住んでいる方が建てられたのでしょうか?味のある書体です。
藤枝宿
4時過ぎに藤枝の問屋場跡に到達。広重の絵の雰囲気が少しは残っているかと期待していました。しかし、交番や駐車場になってしまっており、雰囲気は全く残っておらず、残念でした。
正定寺に本願の松という大木があるというので、寄り道してみました。確かに立派な松です。大きい木の迫力や素晴らしさが再認識されました。
志太一里塚蹟を発見!いよいよ50里まで来ました。ただ、日が傾いてきたので、今日の宿を探さなくてはなりません。
藤枝駅の観光案内所がまだ開いているようだったので、駅まで800mほど歩き、そこでオガワホテルを紹介してもらいました。
オガワホテルには、コインランドリーがあったので、洗濯しました。でも、乾燥機は衣類が温かくなるくらいで、生乾きにしかなりませんでした。
散歩データ
コース:江尻宿 → 府中宿 → 丸子宿 → 岡部宿 → 藤枝宿
距離:40.9km
時間:12h51m




















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