僕は、シュークリームが嫌いです。
皮にあまり味が無いこと、皮とクリームの間に空間があってがっかり感があること、皮とクリームの歯ごたえのバランスが悪いと感じられることなどです。
でも、僕の家族で、シュークリームが嫌いな人はいません。よって、僕のシュークリームは、誰かが喜んで食べることになります。
食べ物の好き嫌いは良くないと言われます。
栄養のバランスが偏るとかいうのがその理由です。
でも、本当にそうでしょうか?
関東の多くの人々は、納豆を好みます。
しかし、関西では、食べ物でないと教える家庭もあります。
海外の人々にとっては、納豆がそもそもありません。
つまり、関西や海外の人々は、納豆に含まれている栄養素を別の食べ物から摂ることにより、健康に過ごすことができるのです。
ここで、縄文時代のような古代を想像してみましょう。
どこの家庭も自給自足の暮らしをしています。
海に近い地域では、生ガキを取って食べていたかもしれません。
ある日、ある家族にカキの食中毒が発生したとします。
致命的ではないにしても、しばらくは家中で寝たきりになります。
漁に出ることはできません。
でも、家族にカキが嫌いな人がいたらどうですか?
カキを食べなかったため、食中毒にならず、漁に出ることができて、病状の回復に必要な食料を持って帰ることができます。病人の看護もできます。
つまり、好き嫌いという多様性があるからこそ家族のピンチに対応できるのです。
食べ物の好き嫌いが仲間を救うのは、人間に限った話ではないと思います。
コアラの祖先も、昔はユーカリ以外の食べ物を食べていたのではないでしょうか。
でも、ユーカリを食べるゲテモノ食いのコアラが出現し、たまたまユーカリ以外の食べ物が不作だった時に、このコアラが身近のコアラにユーカリを食べることを教えたのかも知れません。
ともかく、以上の思考実験により、食べ物の好き嫌いが種の繁栄に役立つと思われたので、今後、嫌いな食べ物を食べるように勧めることはしません。
納豆が嫌いであれば、食べてあげます。シュークリームはお譲りします。
コメント