ポアンカレの「科学と方法」は難しいですが、興味深い本でした

本書を読むことで、アイデアに関する、かねてからの疑問に答えが得られました。また、著者の観点に新鮮味を覚えた点がいくつかありました。

ガチガチの旧字体で書かれた本を久しぶりに通読しました。

「科学と方法」を読んだ理由

ほぼ一年前に、ジェームズ・W・ヤングの「アイデアのつくり方」を読みました。その末尾に、「アイデア作成過程のすべてについて諸君の理解を深めるのに役立つ三冊の書物を紹介しておこう。」とあり、その2冊目が、『科学と方法』でした。「アイデアのつくり方」が平易な文章だったので、簡単に読める本だと思って購入しました。

訳者は文学者だと思っていたが・・・

読み始めた1ページ目で、簡単に読める本だという幻想は打ち砕かれました。

そもそも、ガチガチの旧字体で書かれています。
緒言からして、「心理的機制」「迂路」「堅忍不抜」など、自分で文章を書くとしたら絶対に使わない言葉が綺羅星のごとく出てきます。

込み入った話になると、古典のような文体なので、理解できません。あたかも裁判の判決文を読んでいるかのようです。あなたは、裁判の判決文を一読して、原告が勝ったのか被告が勝ったのか分かりますか?僕にはさっぱり読み取れません。本書はそんな感じの文体です。

このようなことから、僕は、「訳者の吉田洋一氏は、フランス文学者に違いない」と思いました。

著者のポアンカレは、数学者、物理学者です。僕は、「ポアンカレ予想」という数学上の問題の名前だけは知っていました(問題の中身は全く分かりません)。その学者が書いた「科学と方法」なので、理系の専門的な話が次々と出てきます。僕には(完全には理解できなかったものの)、専門的な内容が上手く訳されているように思えました。文学者が、複雑な理系の内容を訳せることが不思議でした。

実は、この本の内容が全く頭に入ってこなくて、初めに斜めに1回通読し、次に2回目を結構真面目に読みました。その間に、本棚で、岩波新書の「零の発見」という古い本を見かけていました。1979年に第53刷が発行されている320円の本です。この本の内容も頭に入らなくて、読むことを何度も挫折した本です。その著者が奇遇なことに「吉田洋一」氏でした。略歴を見ると、数学者です。

そういうことであれば、数学や物理の個所をうまく訳せた理由が分かります。吉田氏にとっては、一般論を訳すより簡単なことだったと思います。

ポアンカレの守備範囲は広かった

「科学と方法」の原著(Poincare, SCIENCE ET METHODE)は1908に出版されました。
アインシュタインの特殊相対性理論は、奇跡の年と言われる1905年に発表されています。また、一般相対性理論は1915年に発表されていますので、その間に出版されたことになります。

第2章第2節では、その相対性原理について持論を述べています。

インターネットは当然無い時代です。科学雑誌も、今ほど簡単に入手できたわけではないでしょう。そんな中で、たかだか3年の間に難解な論文を理解し、持論にまで持っていっているのですから、ポアンカレはアンテナを広範囲に高く張っていた人のようです。

ちなみに、本書の構成は、第1篇が学者と科学、第2篇が数学的推論、第3篇が新力学、第4篇が天文学となっています。

「アイデアのつくり方」で疑問に思ったことの答えが書かれていた

前述のように、「アイデアのつくり方」で紹介されていたために、僕はこの本を読みました。その「アイデアのつくり方」を読んだ時に、疑問が2点残りました。この「科学と方法」には、その答えが書いてありました。

説明の都合上、まず、「アイデアのつくり方」の要点を述べます。アイデアは、次に示す5段階からつくられます。

  • 第1段階は「資料の収集」です。
  • 第2段階は「資料の咀嚼」です。
  • 第3段階は「問題の放棄」です。
  • 第4段階は「アイデアの実際上の誕生」です。
  • 第5段階は「アイデアの具体化と展開」です。

ここで、疑問に戻ります。

第1の疑問は、「問題を放棄」してから「アイデアの実際上の誕生」までに要する具体的な時間でした。この答えは、P.57あたりに書かれていました。

ポアンカレが、超幾何級数から誘導されるフックス関数の1つの部類の存在に思い至ったのは、2週間の努力の後に一晩休んだ時でした。つまり約半日でした。

また、フックス関数を定義するのに用いた変換が非ユークリッド幾何学の変換と全く同じであるという考えが浮かんだのは、地質旅行に参加していた時でした。つまり、この場合は数日くらいの時間を要したということです。

問題を放棄して、一週間くらい経ってもアイデアが浮かばないときは、そもそも資料の収集と咀嚼が十分ではなかったということになるので、それらの段階に戻らなければならないことがわかりました。

第2の疑問は、第5段階である「現実の有用性に合致させるために最終的にアイデアを具体化し、展開させる段階」の具体的なイメージです。この答えは、P.68あたりに書かれていました。

数学の場合「無意識的活動は、計算の出発点を与えてはくれるが、計算そのものにいたっては、意識的活動の時期に行わなければならない」ということだそうです。つまり、第5段階は意識的に計算することであり、具体的なイメージを掴むことができました。

潜在的自我は量子力学的な仕組みによって組合せを作っているのではないだろうか

ポアンカレによれば、「発見とは有用な組合せをつくる」ことだそうです。
これは、前節で述べた「問題の放棄」の段階でなされます。

ポアンカレは、潜在的自我が有用な組合せを作る理由として、2つの見地を述べています(P.63)。

第1の見地は、「潜在的自我が、微妙な直覚によってこれらの組合せの有用なことを洞察して、それ以外のものをつくらなかった」です。

第2の見地は、「潜在的自我の自動作用の結果、全ての組合せがつくられるのであるけれども、ただ興味ある組合せのみが意識の範疇に入ってくる」です。

僕は、断然第2の見地を支持します。それは、生命活動の根幹は量子力学的な仕組みで支えられていて、脳の活動は量子コンピュータと通ずるところがあると考えるからです。
量子コンピュータは、重ね合わせや量子もつれを利用して、多数の組合せを同時に処理することができます。これは第2の見地そのものです。

少し突拍子な考えでしょうか?でも、次の本をお読みになれば、この考えに納得がいくと思います。僕はこの本を図書館で借りて読んだので、手元にはありませんが、どの項目も面白くて、オススメできる1冊です。

ジム・アル=カリーリ、ジョンジョー・マクファデン「量子力学で生命の謎を解く」、SBクリエイティブ、2015

新鮮味を覚えたポアンカレの観点

いくつかのポアンカレの観点に新鮮味を覚えました。ただ、もしかすると翻訳の過程において、原文からニュアンスが変わり、そう思えるようになっただけなのかもしれません。

数学とは異なった事柄に同一の名称を与える技術である(P.37)

一つの数学の公式が、物理と化学の両方で使える可能性があることは分かります。でも「公式を与える技術」ではなく、「名称を与える技術」と表現したところに、考えさせられるものがありました。

数学の証明では、各要素の順序は、その要素たる推論式そのものより遥かに重要なのである(P.54)

論理のつながりは確かに重要だと思います。でも、A=a、B=b、C=cなので三角形が合同であると証明することと、C=c、B=b、A=aなので合同と証明することは順序が異なりますが、特に問題ないですよね?そういう意味ではないのでしょうか。

数学において「存在する」ということは、「矛盾のないこと」である(P.193)

この意味をある程度理解することはできます。でも、この対偶をとると、「矛盾があれば存在しない」です。「この文章には矛盾がある」という文章は存在していますが、ポアンカレには存在していないことになるのでしょうか。

もし教師が(連続関数の)最初の像に立ち返ってしばらく足場を再建して見せないならば、生徒は如何なる気紛れによってかかる全ての不等式がかかる風に相重ねて組まれたかをいかにして推量し得ようか(P.135)

これは本当にその通りです。大学でラプラス変換とかを習う場合、足場が示されずに結果だけが示されるので、本当に分かりません。でも、数学の先生も、先生の先生から足場を外された状態で習っていて、足場自体がとうの昔に忘れ去られてしまっているのかもしれません。

産出力の大きい事実とは、我々が単純なりと判定する事実(P.301)

なかなか含蓄のある言葉です。

単純なことは、軽視しがちだったりもします。

でも、特許を例に取ってみると、単純なところを権利化できればその利益は計り知れないといったところでしょうか。

この本から得られた雑学

いくつかの雑学も得られました。

ロジスティックス

最近、ロジスティックスと称する物流関係の会社名をよく見かけます。でも、その由来を知りませんでした。本書のP.165には次のような内容が書かれています。

記号による言語は、ペアノによって発明された。これはパジグラフィ(La Pasigraphie)と呼ばれた。その後、ロジスティク(logistique、数学的論理学)なる名が与えられた。ロジスティクは、陸軍の学校において営長の技術、すなわち、軍隊を進軍せしめ、舎営せしめる技術に使われる。

こうして、ロジスティクという言葉は兵站を表すようになり、その後、物流に使われるようになりました。

もし、パジグラフィという語がそのまま使われ続けていたら、パジグラフィという会社名を見かけるようになっていたかもしれません。

地球の大きさを測った場所と人

メートルは、フランス人が測量した結果を用いて、子午線の1象限の1000万分の1の大きさに決められたことは知っていました。北極から赤道まで、主として船に乗りながら測量したのだろうと漠然と考えていました。
ただ、北極の厳しい気象状況下での測量と、基準点が固定できない海上での測量をイメージすることができませんでした。

この本のP.290に、「ドランブルとメシャンはダンケルクからバルセロナに至る弧を測定することを委任された」と書かれていました。明記はされていないものの、メートルを決めるための測量だという予測はつきました。また、調べてみると、実際そうでした。つまり、メートルは、北緯51度のダンケルクと北緯41度のバルセロナ間を測り、たかだか緯度10度の測定で決められたということになります。地図で調べると、この間は陸路で移動できるので、当然、三角測量することができます。

伊能忠敬も同程度の距離を測定して、地球の大きさを約39,900kmと見積もっています。もし、この結果が使われていたら、1mは今より若干短くなっていたことでしょう。

タイムマシンで旅をしているような感覚になった

近年の飛躍的な技術の発展により、たかだか1世紀前の最新技術が現代では常識となっていたり、場合によっては過去の遺物になっていたりしています。そのため、「科学と方法」のような本を読むと、あたかもタイムマシンでこの時代を訪れたような感覚を覚えます。

例えば、本書では、エーテルを用いて光の物理を説明しています。「将来的には使われなくなる考え方ですよ」と、耳元に囁いてあげたい気持ちになります。

さらに、僕はゲーデルの不完全性定理(Gödel, Kurt: Monatshefte fur Mathematik und Physik, 38 (1931), 173-198)を詳細に理解してはいませんが、これを用いることで、「数学的帰納法の公理による整数の定義が矛盾を含まないことを証明することができないのは当然」という結論を導き出せそうな気がします。これも、ポアンカレやヒルベルトに教えてあげたい気分になります。

また、本書の後半で、「機械に旧来の力学原理を応用することをやめなければならない時はなお遠い将来のことであろう(P.216)」と考察しています。でも、GPSは、相対論に基づいて補正を加えないと、位置情報が一日で何kmもずれてしまいます。すなわち、旧来の力学原理が応用できない領域があります。GPSの運用が始まったのは1993年です。ポアンカレも、たかだか85年後に予想(の一部)が外れるとは思っていなかったことでしょう。

このように、今では古くなってしまった内容の個所はあります。しかし、全体を通じて興味深い内容は多く、読んで損のない一冊だと思います。


ポアンカレ:「科学と方法」、吉田洋一訳、岩波文庫、1953、ISBN4-00-339022-9
, 1908

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